絵の心得のない私がとつぜん美術展で入賞した話

 〒

 

まるのです。こんにちは。

すこし前に、国内の美術展で賞をいただくことが決まりました。

別名義の活動なので親しい人以外に詳細を話すかは未定ですが、今日はそのお話をさせてください。

 

私は先月まで、あまり「絵」という感じの絵は描いていませんでした。

まどねっこというゆるい感じのイラストをあげて、うまくしゃべれない時交流したり皆さんに見てもらったりしていたのが、私の「絵を描く」ということでした。

 

美術館に行くなど見るのは大好きです。

美術が好きだからこそ、きちんと絵を描こうと思ったことはほとんどないです。

 

それと、私は極度の緊張症でよく「人にヘンに思われないかな」と考えてしまっていました。絵などの視点や気持ちを表現するとき、過度にあわててしまうこともあります。

 

さらに。私は間が悪くて、あまり話がじょうずではありません。

 嫌われてるかなとか、迷惑かなと思うと自分から遠ざかるようにしてしまいます。

(もちろんそれでも迷惑をかけてしまったこともあると思うけど)

 

楽しいことや本当にやってみたいことは、誰かに迷惑をかけないように一人でやるようにしてきました。気がきかないので失敗は続くと思います。でも最小限にできるよう注意して、なんとなく当たり障りなく暮らしていけたらいいなと思ってきました。

しずかに、だれかと摩擦せずにいきていけたらいいなとよく思います。

 

先月、あまりゲームをしなくなった時期。

急に色がいっぱいある絵を描きたくなりました。

本当に、突然のことでした。

Twitterで、思い切り描いた絵をみて「私は好き」といってくれた人がいてうれしくて、

「自分の思った通りにやってみてもいいのかな」と時々、思い切り絵を描いて見るようになりました。

 

人目を忘れたら絵をかくことがたのしくなりました。

へんな絵かいたら見る人に悪いかな迷惑かなと思うときももあったけど、毎日がりがり絵を描きました。見て欲しい気持ちがいっぱいになったらアップしたりしました。

そうしてるうちに、私の絵を見た知人が「明日締め切りの美術展に出そう」といい始めました。初めて数日も経ってないときのことです。

 

それからすこしして、連絡が来ました。

審査を通過したことを知ったとき、しばらく声がでずなんとかその時その場にちょうどいた応募をすすめてくれた知人に伝えました。

 

知人は「へーよかったね!」といってスマホをいじっていました。

 

まてまてまてまて、ま~てまてまてえ~ と思いました。

あんなつぶれたネコしかかけない私のことをご存知かな?と思いました。

驚きレベルがたりなすぎるだろうと。

 

食い下がろうとしたとき、私は自分でも引くくらい自分の悪口をたくさん言いました。

 

f:id:ma-corpus:20191220152059p:plain

 

人によってはたいしたことじゃないし、入選くらいでなに緊張してるのって思うかもしれないけど、普通に画壇で活躍している方達に混ざって私が選ばれるなんて驚くことでした。幅のせまいダンボールにはいってすこしおとなしくしていなければその衝撃に耐えられないほどです。

 

そして厳しい扱いになれているため、すごくいいことがあるとちょっと不安にさえなってきました。目の前の人はまだスマホをいじっています。

しつこく「びっくりしたね」と声をかけると、こう返事しました。

 

f:id:ma-corpus:20191220152329p:plain

 

「別に。入賞すると思ってたし」

 

その時どれくらいびっくりしたか、言葉にするのは難しいですが漫画とかで「―ッ!」みたいな場面に描かれる顔をしていたと思います。

 

多くの人にはだからどうしたの案件なんですが、私にはすごいことでした。

この人、私より私のことを信用してる!!!ということに衝撃を受けました。

わたしはいつもわたしがとても恥ずかしいからです。

ぶれなく自分を信頼してくれることに、かなり驚きました。 

 

大学に入った時、ある講義の最初に先生に言われた事を思い出しました。

「ここに座る資格があったのに、色んな事情が重なって座れなかった人のことを忘れないでください」

その時は、ふんわり家庭の事情とかで勉強できなかったひともいらっしゃるだろうなあというようなことを思いました。でも、それだけじゃなくて。

時間を重ねていくうちに、誰でも自分の力がいつも発揮できるとは限らないことがわかりました。

 

わたしは今回のことで、自分に絵の心得があるとはまったく思っていないし、これでいきなり明日から急に胸を張りだすような吹き上がった気持ちがあるわけでもありません。

 

ただこの経験から学んだことがあります。

 

人生はそのとき、傍にいるひとで本当に大きく変わってしまう。ということです。

 

私が他人の裁量に口をだせるわけではないけれど、

くるしいと思うことを続けすぎないでいてほしいと思いました。

 

自分に自信がないひとは、自分を好きでいてくれるひとといてほしいです。

自分をたくさん好きになってほしいです。

 

もし、よかったらだけど。

 

うれしくなるひと何かが生まれるひと、愛せるひと、自分を大切にしてくれるひと大切にしたい人、楽しくなる人、感動するひと、自分の本質を信じてくれる人。

 

そういう人と一緒にいることが大事なんじゃないかなと伝えたくなって書きました。

 

甘えるのと、信頼してもらうのは違います。

自分の選んだ人と一緒にいることは甘えと同じではないから、自分に厳しくしてしまいがちな人は自分に優しくしてほしいなと思いました。

 

私がもっていること でそばにいるひとに活かせることは、どんどん活かしていきたいです。きっとそれが、自分のためにもなると思っています。

 

遭遇するものに抱く感情が、好きだけじゃなくても。

できるだけポジティブなことを世界中に渡せるように生きたいです。

そばにいるひとの素敵なところをいつでも応援していようと思いました。

私が、一歩前に出れたのはいつでも、誰かがいてくれたからです。

そこに期待も依存もなくて、その瞬間にとても感謝しています。

 

いたらないところをおおらかにみてくださるかたに、いつもありがとうございますと、ご報告でした・・・!


表彰にみあってない事自分がいちばんわかってるので、これから、期待に追いつけるように努力したいと思います。


まどねっこ絵は円野まどとして続けて生きたいので、2020年もどうぞ、よろしくおねがいします。いつもありがとうございます。

うまくかけないけれど、たくさんしあわせでいてください。私もたくさんしあわせでいます。

よいお年をおむかえください。

 

まるの

 

 

f:id:ma-corpus:20191220152852p:plain

 

 

 

お豆腐をいくらでも食べられる冷奴だれのお話

冷奴って、日本でだけ食べるものなのかな?ということを考えながら34度くらいの東京の街を歩いていました。

34度って。

f:id:ma-corpus:20190805200609p:plain

暑すぎると何も食べたくないのですが、なんとなくいい大人がこれではまずいという気持ちになりお豆腐とか食べようと思いました。

みなさんはお豆腐すきですか?

「好きな食べ物ですか?お豆腐です」

と言える人に私はなんとなく憧れがあります。

なんかこう、きれいじゃないですか。

暑い日は透き通る水を飲んでいるような。

私は黒いコーラをごっくごく飲んでいます・・・。

 

わたしの好きな食べ物はコーラとエビです。(りりしい顔)

鮭マヨネーズのおにぎりとか大好きです。

お豆腐は、おいしいとは思うのですが細胞レベルでもっと濃い味を求めてしまう、ダメな人間なのです。ごめんなさい。

そういう不純な人間が、冷奴を作ろうと思います。

私はこれだと、いくらでもお豆腐が食べられるのです!

なので、「お豆腐って味がしないんだよねww実はww」という世に潜む、

隠れ豆腐適正なしの同志に向けてレシピを残したいと思います。(廃墟で殴り書き感)

いくらでもお豆腐がたべられる冷奴のたれのお話

まず、ベースのたれから。

f:id:ma-corpus:20190805200808p:plain

 

おしょうゆ、酢、ごま油、にんにくすりおろし、蜂蜜を混ぜます。

分量は基本おしょうゆ=酢=ごま油、その半量のはちみつです。

酢が苦手な方は酢をおしょうゆの2/3か半分くらいにするといいかもしれません。

にんにくは適当にいれていますが、目安はこさじ1くらいです。

f:id:ma-corpus:20190805201433p:plain

そしておしょうゆとかの半量の鶏がらスープの素をいれます。

かつおぶしを用意して待っていてくださいね。

混ぜ合わさったら、きゅうり(たたく)かオクラかズッキーニ(うすく切る)を用意してたれといっしょに混ぜ合わせます。

f:id:ma-corpus:20190805201643p:plain

こういう状態になるので、ここで適当にかつおぶしをいれます。

f:id:ma-corpus:20190805201728p:plain

それから、苦手じゃない方はうめぼしを刻んでいれます。

オクラ+梅とかつおたっぷりだとこういう感じになります。

f:id:ma-corpus:20190805201800j:plain

見た目はどうかな、という感じなのですがおいしいし酸っぱくてなんか疲れがとれる気がします(気)

めんどうだったらたれだけ作って、刻んだねぎ(コンビニとかに売っている)をかけるだけでもおいしいです!

f:id:ma-corpus:20190805201923p:plain

私はあらかじめズッキーニやオクラを冷蔵庫につけておいています。

いつでも冷奴の宴ができるように・・・。

どこかで誰かが思いついているようなことかもしれませんが、とってもおいしかったので皆さんにもお伝えしたくてかいてしまいました。

「酸っぱ!あたまおかしいんじゃないの!!」

「まずww舌やばww」

みたいなこともあるかもしれないのですが、そのときは、高いお醤油と高いお豆腐を買って忘れてくれたらうれしいです(他力本願)

冷奴をきらいにならないでくださればうれしいです(にわかからのおねがい)

夏はなんだか、酸味が強いものがほしくなります。

お豆腐をたべていると「なんだかからだによいことをしているぞ」という知性のない喜びを感じられるので、夏もみんな、しあわせでいてくださいね(* ´ ▽ ` *)ノ  

 

f:id:ma-corpus:20190805201901p:plain

それではまたおたよりします!

 

おにぎりと豚汁と夏負け

 

夏負けという言葉があります。

夏の高温多湿ぶりに体が衰弱することを指します。

暑気あたりと同じように、古くから使われていたことばで季語にもなっていますね。

よく見かける夏バテという言葉は1950年代あたりに作られた比較的新しい言葉です。

ことばは新しくなるものだし、古ければ良いというわけではない上、用途は同じなので、各ご家庭や個人のお好みで選ぶものですね。

私は夏負けするをよく使います。

 

夏に「負ける」って感覚がなんかこう、馴染むのです。

私は体がつよくなくて、手術を経てかなり体質が改善しました。比較すると大変元気になったとは思うのですがこの季節だけはやはり寝込みがちになってしまうんですよね。

梅雨くらいから熱の日が続いて、だんだん弱っていくのを感じます。

色んなことから置いて行かれるようで焦るような節もあり、でも、自分のペースを掴み直せるお休み期間でもありました。

やりたいことがあるのに、熱がでたりするのはくるしいもので

私にとって病弱とは、創作で描かれるような美しいものではなく、私といろんな社会を隔てるような、こわいものでした。

それでもやっぱり、最近は前より元気になった気がするのでスイカを食べたり楽しくすごすようにしています。

去年の夏はスイカがあればよかったのですが、今年は風邪をひいてしまってそれもあまり食べられなくなってしまいました。

そんな中

 

f:id:ma-corpus:20190722082938p:plain


おともだちに「それではなおらないよ」という旨のことを言われました。

そんなガチアドバイスという感じではなかったのですが、んん、んんーーー

んんんんんーーーーーーーーー!!

と思いました。

私の9割はとても前向きで、人生に必要なものは顔さえあげていればちゃんと出会えると考える性格です。

なので、人がなにげなく言った事もそれは必要なことかもしれないなって一度考えることが多いです。

それに、よくならないと思う前に自分も努力をしないとねっ。

なのでなので・・・。

f:id:ma-corpus:20190722085058p:plain

おにぎりつくるよー!!!!

という気持ちになりました!

おにぎりっていいですよね、具がおうちにないってことまあないですもんね。

今回は梅干、鮭、きざんだねぎとごま油と干しエビ、黄色いたくあんを発掘。

 

そして・・・おにぎりには一番の友達がいます。

f:id:ma-corpus:20190722085250p:plain

作った。

豚汁 

つくった。

にんじんいれないの?とよく聞かれますが、にんじんはその・・・食べれないってほどじゃないんですけどゴニョがゴニョなんで、はは・・・。

なんていうか今回はいれませんでした。

豚汁っておいしい。

具たくさんのお味噌汁ってたまに作りたくなります。

できたっ。

 

f:id:ma-corpus:20190722085433j:plain

おいしい!

自分で自分の食事を演出するという行為は、時々楽しんで行おうと思います。

自分の機嫌を自分でとってあげられるようになると、きっといいことばっかりひとにあげられるんじゃないかなあって考えました。

楽しい事をひたすらに増やして、充実したりわらったりするひとを増やすように生きたい。

先週はパンを礼賛し、今週はおにぎりという行為。

節操がないですが、なんというかまあ

なんというかね。

ずっとまじめでいるのってむずかしいね。

f:id:ma-corpus:20190722090052p:plain

それではまたおたよりします

 

四枚切り食パンを好きになったお話

 

 

突然ですが最近四枚切り食パンって食べました・・・?

私はこの前からすごくはまってて、かなりの頻度でいただいています。

 

子供の頃朝ごはんで出された時の印象はあんまりよくなかったんですよね。

今はごはんもパンも好きなのですが、当時は朝食はごりごりのおにぎり派でした。

実家は朝洋食が基本だったので、母には負担をかけてしまいました・・・(おかあさんごめんない、ありがとう)

その上厚切りパンはカロリーも高いし疎遠になってたんですが、この前ラピュタパンにはまったことをきっかけに、買ってみたんです。

そしたらなんていうか・・・

f:id:ma-corpus:20190712054703p:plain

ぱんっ!とした気持ちになったんですよ・・・。

なんていうか、これは本当そこそこにおいしいパン屋さんのパンを愛する人には伝わると思うんですが、パンが包んできます(真顔)

あまりにおいしくて、そのことについてブログを書いて誰かにお話しよう!って思ったんですけど、よく考えたら「おいしい!」しか書くことないんですよ。

ビックリしました。

なんなら、昨日友達が来て、エヴァ鑑賞会が行われたのですがそっちのほうが話すことあるくらい。

エヴァって大人になってから観たら、ゲンドウがかわいそうになるよね・・・」

みたいなお話から「人間とは」トークに発展して最後に今後の人類の発展の方向性のお話になりました(重い)

このままでは

「四枚切りの食パンねえ。ふうん。へえー。」

みたいな反応をされかねないので何とかひねりだすと、厚切りトーストを楽しむコツを二つ書きますね。

 

1.何を塗るか

2.厚さ半分の深度の切れ目をいれること

 

当たり前のことなんですけど、すごく大事で。

塗るのはバターって人も多いと思うんですが、私はココナッツオイルを塗ることも多いです!シナモントーストやはちみつトーストによく合います。

苦手な方以外にはぜひぜひ試していただきたいです(* ´ ▽ ` *)

 

2番目は、焼き面に格子状に切れ目をいれて焼くとバターとか上にのってる調味料がしみしみになっておいしいですよ!

マヨネーズやケチャップを塗りこんでおくと、目玉焼きパンのとき最後までお味がしっかりついてておいしいのです!!

 

あと、手間がすこしかかるのですが私の至福の食べ方をご紹介しますね。

まず、照り焼きハンバーグを錬成します・・・

f:id:ma-corpus:20190712053700p:plain

味付けは塩コショウとか、適当で大丈夫です。ごくごく普通の照り焼きハンバーグ(ミニサイズ)をいくつか作ります。

 

というわけで出来上がったのがこちら。

どん。

f:id:ma-corpus:20190712053631j:plain

冷蔵庫で数日日持ちするので、前もって作っておく事をおすすめします・・・!夜中の作業が楽しくなりますよ!

そのあと、キャベツの千切り×マヨネーズを準備。

f:id:ma-corpus:20190712053950j:plain

それから、厚切りトーストを半分か四等分して焼きます

f:id:ma-corpus:20190712054025j:plain

これで準備OK。

適当にパンにバターをぬったりなんやりしてあとは・・・

f:id:ma-corpus:20190712054045j:plain

こうしてはさんでいただきますします・・・!!

センスなしおのため、見た目はそうでもないんですが走り出せそうなくらいおいしいのです!!めんどくさかったらコンビニのハンバーグをはさむという手もありますので、ぜひぜひ一度ためしてほしいです・・・!

f:id:ma-corpus:20190712054146j:plain

 あん×バターとか、ミートソース×チーズもおいしいです!

 

あと、トースターないよ~って方はぜひフライパンで焼いてみてほしいです!

好きな焼き加減にできるし(フォトナしてるとき焼いて何回か焦がしたけれど)

なんか私 パンが焼けるにおいってすきなんですよ。

たぶん、いい思い出がいっぱいあるんだと思います。

おいしいものを食べて、楽しい事や幸せな事があると匂いが記憶に残るんじゃないかな・・・?

ささいなことは忘れるけど、楽しかったって感情が自分に残るのはなんかいいなーって!

なんでも自動的に出来る時代だけど丁寧にパンを焼いてる原始的な行為も好きです。

そうやって作ったらごはんもいっそうおいしくて、ふふふってなるから、そういう時間を創出する意味でもぜひぜひ試してみてほしいです!

 

 

それではまたお便りします!

 

 

幼児と接してとても驚くこと

〒 

 

f:id:ma-corpus:20181111033801p:plain

久しぶりですね(* ´ ▽ ` *)

先週、親戚のちいさな子と会う機会がありました。

私はこどもたちが人生に一回は出会うであろう「何をやっているかよくわからない大人」のポジションなのだと思います。血縁関係あるなしに関わらず、子供から恐れられたことがありません。今回もたくさん遊びました。

ついこの前赤ちゃんだったのに、たくさん言葉を話すようになっていることに驚きました。脳がいっぱい書き込みしてるんですね。最初はママの後ろに隠れてこちらを見てるんですけど(久しぶりだと恥ずかしいらしい)一定の時間が過ぎるとはじけるように近づいてきたり、話しかけてくれます。人間といっても動物、ある種の警戒心は必要だなあと考えていると「夕ごはんはケーキがいい!」とスイーツビュッフェのお店を指差されました。(集合時間が読めなかったので、お店の予約ができませんでした)

大人たちの中ではお肉を食べる意志が固まりつつあったので、説得を試みる者もいましたが彼女は譲りません。こういうの食べれるよ、と姉がスマホで写真を見せるも笑顔で小首をかしげています。

(察して)

そういう表情でした。こどもは感情を表現するすべが未発達なだけで割と複雑な感情を抱えているようによく思います。「あなたたちのことを悪くはいいたくないけど、その選択は支持できない」といった感じに見えました。

私は前日の夜からなんかスイッチが入って「おなかすかない!!すかない!!すごい!すかない!」みたいな謎の異能に目覚めていてまる一日食事をしていなかかった為とてもおなかがすいていました。

「ケーキでいいのではやく食べたいです・・・。」と懇願して、結局スイーツビュッフェになりました。

小さな子にとって「ごはんがケーキ」というのはすごいことらしく、かなり喜んでいたのですが終始テーブルについてくれた店員さんに怯えていたのがかわいかったです。

 

モンブランを食べながら「サンタさんからは何が届いたのですか?」と質問すると割と良い発音で「Who are You」と返ってきました。

えっ?

最近バンドでよくある、早口で歌うと英語っぽく聞こえる感じでしゃべっちゃったかなと思って脳内で確かめましたが、たぶん違います。どう反応すればと思っていると

「ふー、あー、ゆう・・・?」

隣に座っていたいとこも、初めて英語を知った人みたいに繰り返していました。

結論からいうと、そういうおもちゃでした。何をするおもちゃなのか名前を聞いても想像できなかったので、その場で以下の動画をみました。

www.youtube.com

 これとバスボムを作るおもちゃが届いたそうです。

 

www.youtube.com

なにこれえ・・・めっちゃ作りたい・・・。おにぎり型のしゅわボムつくりたい(製作意図を無視)オリジナルのバスボム作りたい・・・!とものすごい滾りました。

「なにこれえすごいいいですね!!!」

と強く同意すると大変誇らしいお顔をしていました。

先ほども書きましたけど、とても小さくてもさまざまなことを感覚で理解しているということはよくあって、 それを伝達する手段がまだ少ないのかなあと接してると思います。このときも、私がどれだけ面白そうだなと思ってるか、ちゃんと伝わったように感じました。

 

こどもと私を隔てるものは経験値くらいかなと思います。それ以外はあちらが先生になり得るので、教えてもらうことがたくさんあります。

これからもたのしそうなことがあったらたくさん聞かせてほしいなあと思いました。

 「まーちゃん会いたい」

と今一緒なのに言われたので、ん?と首をかしげているとそのお母さんから

「あなたとまた会いたいという意味だと思う。」

と補足されました。

彼女はもう、今が終わったあとのことを考えているんだなと思うと、感心しました。

「その時は一緒に遊ぼうね。」

と伝えると、彼女はとってもすてきな笑顔になって

「ねえ、コーンもういらないんだけど」

とコーンにたいする窮状を訴えました。

またお便りします(* ´ ▽ ` *)ノ  

 

 

 

ふざけたたべもの

〒​(•'-'•)

 

新しいパジャマがほしい。

かわいい女の子が着るような柄は似合わないから、普通の紺色のパジャマを買おうと思っている。メンズでもいい。

青い色は好き。#0f1d49くらいの色を見ていると落ち着くので、枕とかをそういう色にしたらいいのかな。

目が覚めたらのどが苦しかった。

やさしいひともおもしろいひともえらいなと思う。

かわいいのもきれいなのもえらい。

自分じゃないひとをしあわせにするひとはえらい。

毎日そういうひとをたくさんみる。

土曜日の病院は平日よりなんだか深刻そうな顔のひとが多く見える。

扁桃腺がはれてるねぇ~とか言われる。白衣を着てみたいな。

帰り道、ドーナツを食べることにする。

 

f:id:ma-corpus:20181111033131j:plain

嘘みたいなピンクのドーナツ。フランボワーズ。

ときどき、ふざけた食べ物をたべることは大切だなと思う。

何で色をつけてるのか想像できないようなものとか。

かなしいとき、向き合いすぎるよりふざけた何かに踊らされてると気がついたらいいことが浮かぶかもしれない。

と理由をたくさん製造しないと食べるのがこわいボリューム

f:id:ma-corpus:20181111121325j:plain

ケーキみたいにふわふわでおいしかったけど

糖質のことを思うとあまりに怖かったので、夕飯はサラダのみにしました。

生のたまねぎってだいすきなんだ。

ポケモンGOで15キロくらい歩く。

帰って、部屋で虚空をみつめたり、なにより喋ろうと思わなかったのであまりおすすめできない。

f:id:ma-corpus:20181111124538j:plain

このあと大雨が降った。芝公園も好き。

クリスマスがくるから、いろんなかわいいものが食べたい。

仲のよいひとの元気がないので、おもしろいこともたくさん生み出せたらいいな。

この前も書いたけど11月はじわじわ好き。

きらいなところよりすきになれるところを見ていきていきたい。

やるべきゲームがいっぱい発売されるから、どれをやればいいかわからないよ。

こういう時は縁に任せるタイプです。

 

今月はクリスマスシーズンに全力投球するための準備期間なのでがんばります

こわいくらい普通の日記。

それではまたお便りします( *´v`* )

無性に花が食べたい

〒 ( ・ᴗ・ )

f:id:ma-corpus:20180824061758p:plain



無性に花が食べたくなるときがある。

 

そんなに頻繁ではないし、特定の理由も見当たらない。強いて言うなら、食欲があまりなくて眠気が強くなる時期にそうなるように思う。でもそれも思い込みかもしれない。わかるのはたまに、花を口にすると落ち着くことがあるということ。

食べられる花びらといえば、スミレとかバラとかあとはラベンダーとか。

それらの香水は正直いうとあまり得意ではない。

なのに、甘くした花びらを飲み込むとおいしいと思った。

食事というより、のどやくちびるをきれいに洗うような感じがする。

スミレの砂糖漬けがいちばん好きで、たべるとその日はもう食事をしなくてもいいかなと思う。色も夜と同じ色でおさとうがきらきらして、眺めているとしあわせなきもちになる。噛んだ感じはやっぱり、普段口にしているたべものとはどこか違う。皮膚に歯をたてたときにすこし似てる。飲み込むにはややためらう食感。

普段はぜんぜん食べたいと思わないのに、突然とても食べたくなる。

今日、そうだった。

知人とカフェに行って、花の砂糖菓子や花入りのアイスクリームがあったのでそれを頼んだ。

甘い花を食べながら、またしばらくぜんぜん食べたくならないんだろうなと思った。いつも好きなわけじゃなくて、不定期に欲しくなることが不思議だな。

「花なんてよく食べれるね。おいしい?」

花をかじるわたしを見た人が言った。明日は別においしいと思わなくなっているものを今おいしいと言うのもどうなんだろうと答えに困る。

くちもとを触ると、指からかすかに食べた花のにおいがした。

 

花を食べたことがありますか?

ときどきだけ、好きなものってありますか?

わたしはあります。

それではまたお便りします

 

VSお誕生日会

〒 ( ・ᴗ・ )

 

f:id:ma-corpus:20180820040606p:plain

 一昨日は知人の誕生日だったので、プレゼントを持って出かけて、食事したり雑談したり一通りのお祝いらしき会に参加した。

たくさんの人と会話をすることは苦手なので、できるだけはしっこに座って人と目があわないようにスカートのしわを眺めた。慣れないひとの声が重なって、どきどきする。

私はすごく神経質で知らない人といると殆ど食欲がわかず、食べられない。その日も出てきた食事を見ながら、飲み物だけを口にしておとなしくしていた。

主役である知人は理解していて、アイスを先に頼んでくれた。気をつかわせてごめんねとちいさな声で謝る。カップのサイドにたくさんフルーツがのっていて、かじると甘い水が滲みた。すこしだけ落ち着く。

あたりを見渡す余裕ができて、すこしきょろきょろする。それにもつかれてぼんやりして、気づけばなぜか1人の女の子のお皿をぼーっと見つめてしまった。

それは「自分の分はそっこう食べ終わって、人のお皿の中身を狙っている人」みたいな動作だった。ちがう、ちがうんです。はっとしたけどもう遅かった。

案の定優しく、良心に満ちたその子が私を見て微笑む。それから、「一個たべる?」と大きなチーズを一つ差し出した。ちがう、ちがうの、ちがうのです。お酒も飲んでないから、チーズどうしたらいいかわからない。濃い目のチーズ単品で割とどうしたらいいかわからない。私ごときが好き嫌いを言って恐縮ではあるのですが、チーズだけ食べるのそんなに得意じゃない。

瞬時に色々浮かぶ。いろいろ声にならない。

コミュニケーション能力に問題がありすぎて、一周まわって満面の笑みを浮かべてしまう。すると相手はニッコリしたあと私のお皿にチーズをのせた。

「あっ。」

ちょっと大きな声がでてしまう。

確かに今の笑顔は「(ありがとう、チーズ下さい)」みたいな感じに見える、無理もない。そしてよく知らない人からおかわりをねだるってどういう状況。

今後この女性の中で「あの時誕生日会でチーズを欲しがっていた子」として記憶に残ってしまう。会うたびに「チーズ好きなんですよね」と嘘を重ねなくてはいけない。どうしよう。どうしてこんなことに・・・

チーズをひとかけらも食べる気力がないよ・・・!

しかし、こうなったのも自分の不徳、飲み込むしかない、と覚悟を決める。

意を決してチーズを口にしようとすると、それを恵んでくれた女の子が声をかけてくれた。

「これおいしいね!やっぱさー海外のチーズがほんとのチーズだよね。日本のチーズはチーズじゃないわ。」

その子の隣の女の子が「確かにー」と同意するのを聞きながらまた、普段つかわない表情筋を駆使して笑顔になる。またも声はでない。頭には割けるチーズのことことが浮かんでいた。割けるチーズのこと、大好きなのにかばえなかった。ごめん。

帰りに罪滅ぼしにさけるチーズを購入。またじょうずに喋れなかったなあと思いながら家でゲームをした。ゲーム最高。家最高、優勝。

大人数のひとが一同に集まって何かをしたり、ご飯を食べたりすることがずっと苦手だ。そこに批判的な感情があるわけじゃなくて、それを楽しめるひとをみているだけで楽しい。私にとってのそういう欲求はそこで上限なんだと思う。

人と一緒にいると緊張してうまく喋れない。身近な数人と仲よくできたらそれでいいと思う。1人でいることもわりとすきだ。ひとの速い会話より、何かを眺めて考え事をするほうがたぶん私には性に合うんだと思う。

でも、うまくコミュニケーションができないことで誰かにそそうがなければいいなあ。

まだすこし緊張が胸にのこってた今日、ともだちのDちゃんが家に遊びにきた。

ドアを開けるとき食べかけの割けるチーズを片手に持って出た。

中に入るよう促すと彼女は靴を脱ぎながら

「割けるチーズだー!おいしいよね。めっちゃ好き。」

と言った。

どうしてかわからないけど、その言葉になんとなくほっとする。

言葉にならないので、へへへと不気味な声を出しながら彼女の肩を二三度押した。

Dは心底気味のわるそうな顔で一瞬こちらを見たあと、

「暴力振るわれたから、慰謝料に一個ちょうだい。」

と優しく強請ってきた。

そんな二日間。

 

ワインをかたむけながらチーズの違いとか語れるかっこいい人生とは完全に軌道を別にしております。ぷよぷよを買ったよ。朝が寒い。

典型的なうちべんけいのまるのをどうかよろしくお願いします。

7時半に起きる自信がなくて寝なかった。なんか肺のあたりがきゅっと痛いよ。よいこはまねしないでほしいよ。ちょっとぷよぷよをしてから出かけます。HumpBackの「今日が終わっていく」を聴いてるけど、完全に朝( *´v`* )

たのしい一日にします。

おはようございます、いい一日になりますように!

 

またお便りします(* ´ ▽ ` *)ノ

 

「絵なんか見ても面白くない」という人と美術館に行った話

〒みなさま

こんにちは、

今日は「絵なんか見ても何も面白くない」とよく言っているお友達と美術館に行った時のただの日記です。ここしばらくそれが続いているように、本当にただの私生活なのですがよろしければヒマつぶしにでも読んでいただけたら幸いです

 

「絵なんか見ても面白くない」という人と美術館に行った話

 

f:id:ma-corpus:20180305023844p:plain

 

登場人物

   筆者円野まど。ひきこもりの甘ったれ。

D   ディー。本当にこの名前で周囲に呼ばれている。最近二年ぶりに海外から帰国した私の知人。口調はつよめの。(詳細は以前の記事に)

 

*はじまり

f:id:ma-corpus:20180305013207p:plain

「絵なんて見て何が面白いんだよ~。」

私のベッドに頭だけを預けながらディーは言った。

仕事の帰りにわたしの部屋に寄った彼女が「明後日一緒にランチしよう」と誘ってくれたのだけど、その日は美術館に行く予定があった。それを伝えると、ディーはなんだかとてもげんなりした顔をして暫く黙った後で先程の質問をしてきたのだった。

一度目を合わせて「へへへ」と笑っただけで私は何も答えない。ちょうど進まない仕事を端に置いてコントローラーを握った所だったのだ。冷蔵庫から出したばかりのコーラがつめたくて美味しい。

「ねえ、何が面白いのって!」

返事が遅かったらしく、ディーがちょっと大声を出したので私は噴き出した。彼女はたいへん面白い女性で、その忍耐力と好奇心は小学生男子と大体同じ量だ。目に見えていらいらして手に持っていたお菓子の袋を細かく割き始める様子に「ディーは短気だなあ」と言ってニヤニヤ笑った。まあまあと左手で「ストップストップ」みたいな動きをする。この余裕がすこしお姉さんぽいと我ながら思う。いつも面倒をみてもらう側なので、面倒をみる側の景色がちょっと心地よかった。しかし彼女は次の瞬間スッと真顔になりPS4のコードに手をかけようとしたので、私は情けない声をあげた。

「わー!ごめんなさい。ごめんなさい!すいませんでした!待って、これだけ。これだけこの一体だけ!一体だけ倒したら話そう。話し合おう。ね?ね?ね?ね?!

謝り倒しながら私はなんとなく、何歳になっても自分はこうなんだろうなと思った。

*絵の面白さがわからない

f:id:ma-corpus:20180305013222p:plain

「何が面白いかあ。」

一旦落ち着こうと飲み物を用意する。グラスに炭酸水を注いだ後、モヒートシロップを少しいれる。涼しそうな香りがした。ディーは私のベッドに頭をめり込ませて遊んでいる。炭酸水を手渡すとのけぞりながら器用に飲んだ。眺めていると、彼女は質問を続けた。

「私さあ、昔っからアートって何がどういいのかよくわからん。芸術が好きっていう人って皆なんかこう思い込みが激しいように見えるんだよね。」

「思い込み?」

「うん、背景に想像膨らませて勝手にすごいものにしてるっていうか。絵描くやつ以外が絵を見てすごいって思えるもんなんかよくわからん。少なくとも私にはよくわからん。税金対策くらいにしか思えない。」

絵が好きな人を批判するような口調ではなくて、未知の生物について想像するような言い方で彼女は疑問を口にする。言葉を探しながら話しているようだ。

「それで、絵って何が面白いの?」

硝子のように透明な、とてもきれいな問いかけだった。

ディーは多くの人が支持していることを「なんとなく」理解したふりをしない。皆がいいものだと言っているからといって、理由もなしに価値を認めることもしない。きちんと自分の頭で考えている。だからこういう率直な疑問が出るのだろう。「芸術」という存在そのものに懐疑的な彼女の感性がすきだと思った。

何でも疑問をもつことはいいことだ。何かの謎が解けるとき、多くは「なんで?」とか「こうするとどうなるんだろう」というきっかけをもつことから始まるのだから。

分からないことや納得できないことと向かい合うのは大切なことだ。出来るだけ丁寧に答えたい。けど、私はあんまり話が上手じゃないのでうまくいえるか不安になってくる。その時説明が上手なお友達のことが浮かんで、私の脳内を見せるから代わりに話してもらえたらいいなあと思った。

絵が好きな人はみんな、どんな風に答えるのだろう。

*絵は何で面白いのか

f:id:ma-corpus:20180305013624p:plain

私は美術品を見るのが好きだ。

出来るだけ短くなぜ好きなのか説明しろといわれたらたぶん「感動するから」と答えるだろう。感動が与えるものは計り知れない。それは私のようなできるだけ引きこもって誰かと摩擦や刺激を起こさないようにこっそり呼吸するタイプの人種を外に出すことすらできる。けど、それは思い込みの延長といわれたら、よくわからなくなった。

「思い込みといわれたらこの世の殆どのことは思いこみなのかもしれない。」

重めに口を開くとディーはそれをぴしゃりと断じた。

「そこまで哲学的に答えてくれなくていい。」

「どっどのくらい話したいの。」

「絵をみて何が面白いのってこと。まどちゃんの答えでいい。」

私の答え、と考えながらストローを齧りはじめるわたしに、ディーは唇だけで「やめろ」と言った。

「絵にもよるけど、表現力に感動することが多いかもしれない。」

「表現力?」

「たとえば・・・・、ちょっと待ってね。」

立ち上がって隣の部屋から画集を幾つか持って来る。それから机に出したままのブロックメモに猫を描いた。ディーは猫が好きなのだ。

「たとえば、私の描いたネコがこう。」

f:id:ma-corpus:20180304230620j:plain

「ひどいな。」

「うん・・・。」

正直で無垢なるディーの感想に心をえぐられながらも話を進める。それから先程、自分のまわりに積み上げた画集を一つ一つ開いていく。

「これが菱田春草の描いたねこ」

f:id:ma-corpus:20180304220917j:plain

菱田春草 黒猫

 「これがピエール・ボナールのねこ」

f:id:ma-corpus:20180304220551j:plain

ピエール・ボナール 白い猫 

「白猫といえばこれが熊谷守一の描いたもの。」

f:id:ma-corpus:20180304221201j:plain

熊谷守一 白猫

「これがピカソの猫」

f:id:ma-corpus:20180304221609j:plain

 パブロ・ピカソ ロブスターと猫

それから、レオナールフジタとか色んな画家が描いた猫を見せ続けた。

私は自分の話や気持ちに耳を傾けられると、緊張したり(こんな話をして迷惑じゃないかな)とか思い始めてしまって言葉に詰まってしまうときがある。この時もたびたび(話が長くないかな)と不安になって、ディーの目を見つめ返したりしてしまったのだけど彼女は言葉を挟まず、とてもとても真剣な顔で続きを促してくれた。

「猫の絵を描いてもどうしてこんなに違うのか。猫の輪郭を表すための線ひとつとっても『この形が猫だ』と思ってどんな線を選んだのかでそのひとの感性がでるんだよ。」

なんとなく、どきどきしながら話をした。ディーは教室にいる子供のように、黙ってわたしに向き合い、時折深く頷く。自分に注目されると、顔が赤くなって何度も言葉がつかえた。頬の表面がびりびりするような心地がした。

「えっと。私は人とお話したり接したりするのは苦手だけど、人の感覚や感性を分けてもらうのはすきだな。ずっと前の時代の人だったり、知らない人とか、遠くに住んでいる人とかって本当は会えなかったはずのひとだよね。絵を見ることはそういう人たちと会えるみたいですごくラッキーな気がするよ。確かにそれって思い込みの一つかもしれないね。けどそういう思い込みは楽しいものだと私は感じるよ。」

胸の前で指をなんども組んだり外したりしながらなんとか話す。ディーは画集をめくりながらやさしくもつめたくもない声で「ほんとうにいつも何でも正直に答えるね。」と言った。

それからおそらく数分くらい彼女は何も喋らず、自分も猫を描いてみたりしながら、あれこれ見比べていた。私はその数百秒のしんとした時間で、もっとうまい説明ができないか考えたのだけど何も浮かばない。

ディーの横顔を見てると、好みを押し付けたような気がして不安になってくる。膝に載せたクッションを潰すように抱きしめて「絵のことがきらいでつまらないと思ってもいいんだよ。」と声をかけた。

私は私の好きなものを私のすきな人達が興味をもてなくても、それはそれでかまわない。一緒に好きでいられたら倍楽しいのかもしれないけれど、意見が一緒である必要なんてぜんぜんなくて、違うこともおもしろいと思う。それにそばにいる人とお互いの幸せを願えるならそれだけでいい。それを出来るだけ簡単に伝えようと悩んでいると、ディーは私を観察するように見た後でちょっと静止する。そのまま彼女が話し始めることを期待したけど、ふっと顔をそらしてまた画集を開き始めた。

それからこちらを向かないまま、どこか弱気な声でこう言った。

「絵がわからないのに美術館について行くっていったら迷惑?」

 

*美術館へ

f:id:ma-corpus:20180305040652p:plain

2日後、東京国立近代美術館にディーと一緒に出かけた。

自分はいないと思っていつもの通りにまわってほしいと言われたので普通に順路を進む。それぞれ自分のペースで見て、終わったら合流しようと話した。

ディーは美術館と戦う気でもあるかのように、険しい顔をしていた。

出口にあるベンチで感想を少し話し合った。

やっぱりディーにピンとくる絵は殆どなかったようだけど、猫の絵を見つけて、「どうしてこういう絵になったんだ?」と考えるのは少し楽しかったと言っていた。

「まどちゃんはひとつの絵の前にしばらく立っていたね。」

私はその絵をみるためだけに、今日ここに来たことを答える。

「まどちゃんはあの絵がそんなに好きなんだね。」

へえーと言ったあと、突然優しい顔になってにっこり笑った。

なぜ笑ったのかはわからなかったけど、彼女が楽しいかどうか心配だったのですこしほっとする。でもディーが美術館にいるのはまだちょっと慣れない。自分の好きなものについて興味をもたれるのは、なんだかすごく、不思議な感じだ。相手はどんなことを考えているんだろう。でもとりあえず、私は目的を達したのですぐに家に帰って閉じこもりたい。それからゆっくり、考えよう。

 「絵なんか見て何が面白いのかなーってずっと思ってたけど」

ディーの話を聞きながら、靴の先っぽを眺める。虹やかまぼこと同じ曲線だ。

「なんか、絵が面白くないかどうか判断できるほど、絵を知らないんだなって思ったらすこしだけ興味でてきた。」

「無理しなくていいよ。」

「興味でてきたっつってんだろ。人の話を聞け。」

ほんとだなと思ってちょっと神妙に頷くと、ディーは私の背中を強めに押した。2人とも笑う。

自分が1人でしてもいいと思っている事を、一緒にしたいといわれることは不思議だ。

ディーは自分を「利益最優先のつめたい人間」と自称する。言葉がきついことも直す気はないといいつつ、気にしている。でも私から見たらとても優しいひとだ。彼女は事情があってあまり社会のことを知らない私を一度もばかにしたことはなく、どんなたどたどしい言葉も、遮ったことはない。

「嬉しかったよ、私けっこうズケズケ聞いちゃうのに、一生懸命答えようとしてくれて。」

「ああ、絵のこと?」

「うん」

「聞いてくれて嬉しいけど、自分の気持ちを話すのはすごく緊張した。」

「うん、そうだろうなと思った。だからしばらくは質問しないよ。ありがとう。」

そんな小さな約束をしてそれじゃあ最後にミュージアムショップに寄ろうということになった。ベンチから立ち上がるとすぐに、ディーは何かに気付いたようで入り口付近のガラスケースに駆け寄っていく。私はぺたぺたそれを追いかける。ディーの視線の先には美術の教科書にも載っているであろう有名な木彫りの猿が置かれていて「ああ、これも今回展示されるんだ」と思わず呟いた。

するとディーは眉毛を寄せて、好奇心に満ち溢れた目を輝かせ

「ねえ、彫刻って何が面白いん?」

と聞いてきたのだった。

 

*その後

ディーは彫刻になんだか感じ入るものがあったようで、その後おすすめの彫刻家をきかれたりしています。皆さんもお好きな作品があればぜひ教えてください( *´꒳`* )。

多くの人が価値を認めるものに対して抱く疑問を「普通は」とか「皆は」という言葉で封じたくないなと思います。自分の力でものの価値を定めるのは大事なことです。

学校や仕事に行くのがイヤでも、ナイフとフォークで食事をするのが嫌いでも、ダイヤモンドが欲しくなくても、イケメンや美少女を敬遠することも、自分が正直にそう感じるならそれでよくて、大切なのは「自分が本当にすきなものを知っておくこと」だといつも思うのです。そうしないと、いつのまにかそれを手離してしまうかもしれないから。

限られた時間の中で「本当にすきなもの」とできるだけ多く過ごしたいので、見間違えのないようにしたいなとよく考えています。

今を保存できたらいいけど、時間はほんとにあっという間に過ぎてしまいますね。

それと、わからないことをわからないと言えることはすばらしいことだと改めて思いました。ディーが私に疑問をぶつけてくれたことがとってもうれしかったです。

好きな人達の「わからない」から始まることは、きっと面白いことにつながるから、これからもわからないと伝えてもらえるように努力したいなあと思う一日でした。

それにしても、好きを説明するのってちょっと難しいですね。ほんとうに好きな時ってあんまり具体的な理由がないのかもしれません。

「絵って何が面白いの?」と聞かれたら皆さんならどんなふうにお答えしますか?

いろんな種類のお返事を彼女に伝えられたらいいなと思った一日でした。

 

 

 

f:id:ma-corpus:20180304230645j:plain

 ディーの描いた猫

 

友達が「うつ」と診断されて休職するまでの話

 

〒 

 

今日は去年友達が休職したことを書きます。

特に役にたつ知識とかはなく、あくまでこんなことがあったよーという日記ですがどこかの誰かの人生の話なので、お時間があるときなんとなく読んで思うところがあれば幸いです( ∩ˇωˇ∩)

休むべきときは、身近にあるということを1人でも多くの人に知っていただければ嬉しいです。

(友人の許可を得て、一部フェイクをいれつつ文章を書いています)

 ※長いので閲覧注意

友達が「うつ」と診断されて休職するまでの話

 

 

はじめに

うつに関しては、その症状は傾向こそあれ実にさまざまで個人差のあることだと考えています。今回書くことは一例であって、その状態にある方すべてに適用されることではないことを予めご理解ください。

皆さん個人個人に合う安心な日々をおくれますように。

 

 

*年の離れたともだち

 Aちゃんと私は接点の少ない友達だ。

Aちゃんと私は月に二回くらい、どこかで朝食を一緒に食べた後少しお散歩する。

彼女と仲良くなって数年、それは一度も途切れたことが無い行事だった。

初めて会ったのは、私が10代の時。

知り合いの知り合いで、「かっこいい職業の人」というものすごいざっくりしたカテゴリで紹介されたことを覚えている。

私は当時から意識の低い人間だったので、「そっかあ」と何も考えずに相槌だけ打っていた。その時も今も、容姿や職業は情報の一部でしかなくて好悪には直結しない。

「知らない人」は知らない人なので緊張がすごくて、最初はろくに目もあわせられずにいた。自分から話しかけることも出来ない。知り合いの輪の中の1人。

だけど知れば知るほどすごいひとだな、と思った。

話は早く、おしゃれで、面白い。

そして何より誰も不快にさせないで過ごせる人だった。

Aちゃんがいる場はいつも皆が満足して、「また話したいね」と言って帰っていく。

多分目の前の人だけじゃなくて、広くその場や時間全体を見ているのだろう。彼女が何気なく変える話題のそこかしこに、いつも何かや誰かへの配慮があった。

場に仲間はずれを作らないし、フォーカスされた人が悲しむような冗談を言わない。

多くの人に信頼されていた。

その上とても仕事ができて、いつも二歩・三歩先の事や将来的なことを見据えて動く。

会うたび彼女は完璧な人だと思った。

私はまるで正反対で、いつも鈍くて遅くて、自分のことばかりだ。

人が多い場所も苦手で、彼女と出会ったばかりの頃も随分失礼なことをした。

けれどそんな私の度重なるただの無礼をAちゃんはいつでも許してくれて、たくさんのフォローをしてくれた。

仲良くなったきっかけは、私の服装のことだった。

その頃の私は自分の着るものに関心が少ない上、人見知りが強く店員さんと会話することが出来なかった。だからサイズを見ないで買ったぶかぶかの服を着ていたのだけど、Aちゃんはそれを知ると急に顔色を変えた。

次の日、ファッションビルの開店時間に待ち合わせをした。

初めて普通に遊ぶ、しかも一対一。なのでとても緊張をした。

けれどその日皆を受容していた微笑は、彼女の顔には浮かんでいなかった。

Aちゃんはファッションが好きだ。とても、好きなんだと、思う。

「そんなドブみたいな色の服着て何になるつもり?!こっち!この白いほうを試着なさい!」

無難そうな、目立たない色を選ぶ私にAちゃんからの熱い指導が飛ぶ。

会うたびに彼女のよそゆきの顔はどんどん崩れた。

Aちゃんは外で見せている完全な笑顔の中に、大変な毒舌とユーモアを隠しているのだとわかった。彼女はそれを「自分の裏の顔」と呼ぶけれど、普段は周囲を思って自分をガマンしてるんだな、とやっぱり優しい人なんだとわたしは思った。

周囲の人は私たちが仲良くなったことをよく不思議がった。

私の血の繋がった姉よりも年上だったからかもしれないし、私のそこはかとないだらしなさがきりっとした彼女といるには合わなかったのかもしれない。

Aちゃんからの扱いも友達、というより面倒をみてくれているという感じたし、まわりからもたぶんそう見えていた。

実際のところ、彼女は社会の何もかも知っているように見えた。

そんなわけないのに、時々そう錯覚してしまうほどAちゃんは私の前でいつも大人だった。

急に機嫌が悪くなるとか、急にふさぎこむとか急にどこかにいってしまうとかそういうことはなくて、不安に感じるようなことは説明をしてくれた。

変化が苦手な私はとても安心して遊べた。

私が選択に迷うたび、押さえつけず、ただ後押しだけをしてくれた。

仕事で疲れるような事があっても「終業後に持ち込まない主義」だと言って終業すればその話はほとんどしない。愚痴すら言わないのだ。

一度Aちゃんが23時まで残業した後、そのまま映画のレイトショーに一緒に出かけたことがある。帰り道、彼女はあくびを堪えながら「やっぱ全然頭に入らなかったわ・・・!」といったので「それはそうでしょ」と返した。文に起こせばクスリともこないこのやりとりがその時おかしくて私たちは階段から落ちかけるほど笑った。

何か特別なことがなくても、空気があたたまって笑わせてくる。

笑いすぎて顔とお腹が痛くなることが何度もあった。

「仲がいいね、ほんとうのきょうだいみたい」

誰かにそう言われた時、彼女はこう返事をしたのを覚えてる。

「この子は何でも顔に出るから。」

それは答えになっていないような気がしたし、相手もすこし首をかしげていた。

けど、Aちゃんの答えはいつも同じだった。

何となく、くやしくなって私はポーカーフェイスの練習をしたりもする。

表情や感情が見えないかんじ、かっこよくてすこしやりたい。

ほんとはこうやって誰かと親しくなることはこわい。

何かに愛着をもつこともどこか怖い。

誰かを傷つけることも、こわがらせることも嫌だ。

誰かと何かを取り合うことはもっと苦手だ。

そうなるくらいなら、自分から消えたい。

それでは生きていけないと知っているけど、私は軋轢を生みそうな場所をいつも避けている。

遊びはじめた頃のことを思い出すと、Aちゃんは私が不安にならないような距離をとって私を見ていてくれたんだろうなと思う。優しく見守ってくれていることに気が付いたのは、ずっと後だった。

彼女は他者のことがわかりすぎて、自分の優しさを気付かせない。

 

*四月


多くの仕事がそうであるように、Aちゃんの仕事も年度末はとても忙しい。

年が明けたあたりから残業時間が急激に増え始めて、一月では60時間、二月は80時間と膨れ上がっていく。でもそれは、出会ってから毎年の事だったように思う。

「あーあ。やだな、また年度末だ。」

Aちゃんはそう言ってため息を吐く。三月一日のことだった。

家がごく近いので、残業が増えてからも夕ご飯をよく一緒にした。

彼女はいつものようにファッション誌をめくりながらヘーゼルナッツのコーヒーを飲む。私のあれこれに冗談をいう。私たちは場所を同一にしてるだけで大体の時間、お互いに違うことをしている。時々休憩のように少し話してまたそれぞれに戻ってそろそろ帰る時間だねって頃に帰る。

それは「普段どおり」のこと。

2人でバイバイしてドアが閉まるまでお互いずっとクスクス笑っている。

そんな今までの繰り返しを、当たり前に思っていた。

でも、この頃から予兆は既にあったんだ。

「それで、こんなことがあってスッゴク面白かったの。」

Aちゃんがやたらと職場のことを褒める時間が出来た。すごく饒舌だった。

「こんな面白い人がいて。」

「こんな面白いことがあって。」

「この仕事はやっぱりすごい。」

「こういう組織はやっぱりすごいよね。」

そうかと思えば

「仕事やめたい。」

「職場のこういうところがいや。」

「職場のこの人の、こういう仕事ぶりがいや。」

と、急に批判をする。

彼女はそもそも今までほとんど仕事の話をしなかったけど、その時から堰をきったようにその話題が増えていった。

私は大体のことを(生きていればそういうこともあるな)と思う性質で、それすらも変化だと受け取れなかった。最近仕事に関心があるんだなあって思っていた。

 

それからどんどん「仕事の話」は増えた。話に来る回数も増えた。

三月も半ばになる頃、Aちゃんは常に職場の話だけをするようになっていた。

いいこともわるいことも、笑うことも怒る事も、喜ぶことも悲しむことも全て仕事に関係していた。

私はそれをただ聞いていた。

大変そうだな、とは思ったけど意見をいったところでその仕事量が変わるわけではない。だから、ただガス抜きになれれば、なんてことを思っていた。

一緒に笑ったり、悲しんだりしながら最後に「聞いてくれてありがとう」と言われて笑ってばいばいと手を振っていた。その自分に何の疑問も抱かなかった。

もしかしたら、すこしだけそんな話を聞いてる自分がしっかりもののような気さえしていたのかな、すごく恥ずかしく思う。

それから四月が来た。

Aちゃんの休みが減り、殆ど会わなくなっていた。

一ヶ月に二度くらい、一緒に朝食を食べるという行事はその月行われなかった。

さびしいけれど仕事が忙しいのだからしょうがないよなあと気にしなかった。

ある時Aちゃんから、職場の人と出勤前に朝食を食べて、それがいいお店だったよという連絡が届いた。

お料理は見栄えするものばかりだけど抑える所を抑えた内装で、大人の行くお店という感じだった。ボリュームのあるサンドイッチがおいしそう。検索すると、エビがもりもり入ったメニューがあって、すごく行ってみたくなる。

落ち着いたらAちゃんに案内してもらおう。

写真も添付されていて、同僚の人達の楽しそうな笑顔のなか、Aちゃんの微笑を見つける。楽しそうな顔をしていたので何だかホッとした。

「ふふふ、忙しいけど息抜きは大事だよね。」

休日もほとんどない四月を過ごしている人達が、結束を強めるためにちょっといい所で朝ごはんを・・・という感じなのだとメッセージには書いてあった。

「稼いでますから!」と写真に入っていて、笑った。

そうだよね、たくさん働いてたくさん結果がでるならいいことだ。

私は家のテーブルに1人座って、水色のお皿に載せた目玉焼きを齧る。

「辺り触りなく誰とでも接するけれど、それが私の自己防衛ラインなの」

その時ふと、Aちゃんが前に言っていた事が過ぎった。

彼女も本当は人と長時間いるのが苦手で、だから誰に対しても深入りしたりされたりしないように当たり障りなく接する。そんなことをよく言っていた。

思い出すうちに、手が止まる。さっきの写真にちょっとだけ違和感を覚える。

「防衛ライン」のことを考える。もぞっとしたいやな感じがしたけど、答えがでない。

でも、人は変わるものだ。

同じ職場の人と困難を分かち合う内に打ち溶けられる人がみつかったのかもしれない。

好きな人が周囲に愛されることはうれしい。

だからそれならばそれで、良かったのだと考え直して食事を続ける。

 

四月、彼女の残業時間は160時間を越えた。

 

*限界

 

五月の連休直前、Aちゃんの友達とばったり会った。

「Aちゃんと最近遊んでる?」

その人は挨拶もそこそこに「Aちゃんとこの前あったこと」を話し始めた。

Aちゃんの仕事ぶりを聞いた彼女は、「働きすぎ、つらくないの?たまには休まないと」と諭した。Aちゃんは「仕方ない」と答えたそうだ。そして話の最後に「仕事の仕方なさは主婦にはわからないよ。」と答えたのだそうだ。

その人はAちゃんの大学の同級生だった。こういうとき気のきいたことが言えない私はフンフンとうなづいて会釈をして主婦のお姉さんと別れた。

私はとてもヒイキをする性格だけど、これはAちゃんが良くなかったかもなあと思ってすこし話そうと思った。理由があったのかもしれないし。

歩きながら通話をかける。思えば彼女と話すのは三週間ぶりくらいだ。遅咲きの桜の花びらもすっかり落ちて朽ちている。茶色い吹き溜まりをみつめていると声が届いた。

「はい。」

すぐに彼女が出る。とても高いテンションで、息つく間もないほど喋り、そしてこちらの用件を聞く前に私を食事に誘った。もうずっと休日らしい休日がないけど、それに慣れてきたという。

「今日は18時で帰るから、夜ご飯にいこうよ。」

それはとても、明るい声だった。その空気を壊したくなくてさっきの話を言い出すのは、ごはんの時にしようと思った。

彼女と会うのは久しぶりだ。何を着ていこうかな、何でもいいかな、また「そんなドブみたいな服!」とダメだしするかな?とニヤニヤする。

せっかくだし何かを差し入れようかな。花粉の季節は手が荒れるといっていたことを思い出して、彼女の好きな香りのハンドクリームを購入した。

紙袋のきれいにつけられた角をみつめているとうれしくなる。

プレゼントはあげる側の楽しみというけどほんとうにそうかも。

なんだか、久しぶりに安心できるひとに会える。そんな気持ちでいた。

だけど。待ち合わせの場所に来た彼女を見て、私は驚いて固まる。

そのまま新宿駅西口前の人波に押し出されて、誰かにぶつかってよろける。

その時当たってしまった人は私の母と同じ位の年齢であろう方で、顔を合わせるとひどくいやそうに眉を寄せた。私は咄嗟にすみませんと言った。近寄ったAちゃんが「何やってるのもう」とたしなめながら、一緒に二・三度頭を下げてくれる。

「どうしたの貧血なの?」

今までと変わらない口調で私をのぞきこむ。

どうして四月の写真で気付かなかったんだろう。

彼女は見た目にも10キロは太っていて、それなのに顔だけはガリガリにこけて、目の周りは黒ずんで窪んでいた。

美しさをあれほど語った唇はがさがさと荒れ、着ているものの裾が汚れている。

「Aちゃん、仕事忙しい?」

思わずそれだけ聞いたのに、彼女はそれから1時間。今私が人に衝突したことがなかったかのように、仕事の楽しさと愚痴をノンストップで話し始めた。

お店に行くのではなくて、そのまま駅の前でのことだった。

私がうなずき以外の何も挟む事もできないほど、話続けて、それから本当に突然に。

「私たちももう遊ばなくなるんだろうね。」と言った。

付き合っている人に別れを切り出される時はこんな感じなのだろうか。

次々と駅から出てきて駅に入って行く、人の蠢きが随分ゆっくりに見えた。

理由も聞かなかったし、承諾も拒絶もしなかった。

私は何かに愛着をもつことが怖い。

それが剥がれる時、どんな顔をすればいいかわからないからだ。

けど、やりたくないだけで、そんなことは全然飲み込んでしまえる。

相手の気持ちを大事にできることが、好きってことだと思うからだ。

だからAちゃんが普通に私が嫌いなら、いつでも遊ぶのをやめられる。

でも。彼女の早口の間ずっと考えていた。

仕事の量が増えて、効率をあげて行く為、毎日判断の速度をあげて。

今、私の顔を見て「楽しくなさそう。一緒にいないほうがいい。」そんな風に考えたのかな。忙しいね。ほんとに、ほんとにいそがしいんだね。

どこかからキーンと高い音がなって、「神は生きている」そんな声が新宿駅に響いた。

それに気をとられているとAちゃんがまた何かを言おうとする。

「仕事が・・・。」

今日何度目か分からない、仕事、というフレーズに私は俯いた顔をあげた。

私は出会ってから初めて、彼女に意見をした。「いいから少し黙っていなよ。」

 

*五月

 

それからも簡単にはいかなかった。

とりあえず落ち着いて話そうとAちゃんの部屋にいくと足の踏み場もないほど散らかっていて、明日は仕事を休もうと言うと叫ぶような声がした。

「休めるなら休んでる!」

彼女は怒鳴るような人じゃない。何年も親しくしていて、そんな感情的な姿は初めて見た。けれど驚き以上に、声を荒げてから、狼狽して、萎れて行くような姿が心配でならなかった。

私を怒鳴ったことに対して罪悪感が膨れていくAちゃんは何度も「どうしてあなたにこんなこと」「しにたい」「こんな自分が大嫌い」と泣いた。私は「そりゃそうだ休めないね。ごめんね。私がわるかったんだよ。」と伝える。配慮がたりなくて、追い詰めてしまった。

散らかった雑誌を並べたり、ゴミを拾う。私がだらしなくしているとき、いつも彼女が、片付けてくれたように。

きれいにして、あたたかい食事を作ると、驚くほどの量を口にした。

その後買って来たお菓子を何袋もあけて、すぐに戻した。

背中をさすっているとき、Aちゃんはまた泣いた。

ストレスで、食べて過ぎてしまうのだと言う。肌も爪もボロボロになっている。

それから二週間、Aちゃんは出社を続けた。

「休めない。私じゃないと終わらない仕事だから。」

こんなことをよく言っていた。この時期が終わったらちゃんと休むから、とも。

週の半分以上の夜から朝までの時間、私は彼女の部屋に居座った。

Aちゃんの様子にはムラがあった。

朝元気でも夜は声も出せないほど落ち込んでいた。

急に何かを始めては、何もかもしたくないと投げ出す。

交友関係を広げて楽しそうにしてると思ったら急に色んな連絡が重荷だと連絡先を削除したり。

仕事について揚々と持論を述べていると思ったら、急に泣き出したり。

時々調子が戻った様子を見せるとその日の夜や次の日にものすごく落ち込んで会話もままならなくなった。

「うつ」なんじゃないかと、心配する人が増えていく。

彼女に正論をぶつける人はたくさんいた。

「そんなんなって仕事してどうするの?」

「普通でいられないなら仕事休みなよ。」

「自分の理想ばっかり言ってたらダメだよ。」

「そんなん組織に所属する以上仕方ないよー。文句言うなら会社やめて起業すればいいじゃん。」

「いちいちそんなことでつっかかってたらどうするの?」

「皆が心配してるのわかる?自分で勝手に追い詰められているんだよ?」

中でも一番彼女を傷つけたのは、悪気のない軽口だった。

「そうなるまで仕事しちゃーだめだよ。バッカだなあ。組織は使うもので、使われたら終わりだよ。」

その人は彼女を励まそうとしただけだったのだと思う。

けれどAちゃんはそれを聞いたとき、吼えるようにがなった。

「じゃあどうすればよかったんだよ!」

 その人は驚いた顔をしたあと、みるみる真っ赤になって「逆ギレじゃん!そんなんだからおかしくなるんだよ!」と言い返した。その時いた知人と2人でその子を帰した後、

Aちゃんから先ほどの強さは嘘のように消えていた。

「しにたい。消えてなくなりたい。」Aちゃんはそればかり繰り返す。

黙ってうずくまってしまったかと思うと、呟くように言った。

「まどちゃんも帰って。」

私は曖昧な顔をしてへらへら笑った。どんな面持ちでいればいいのか分からない。

迷惑そうな顔に気付きながらもそこに居座り続ける為、キッチンの掃除を続けた。

その後に続く私への罵りが遠くに聞こえる。これで嫌われてもいいと思った。

そばにいないと、彼女がしんでしまうのではないかと思って怖かった。

自分のためにそこに残った。私が彼女を失いたくなかった。

大嫌いになられることより、好きな人達がしんでしまうことのほうが、ずっと恐ろしいことだと思った。きれいな部屋で、ごはんを食べて、あたためていないとしんじゃうような気がした。人がしぬかもしれないことはこんなに怖いのだと思った。

とてつもなく不安だったけどAちゃんの前で泣き顔を見せればまた「しにたい」というのがわかっていたから、夜中にトイレの鍵をしめ、両手で口を押さえて私も泣いた。

「ごめんね。」

私を怒っていた声が涙に変わる。彼女にかけよりながら彼女のお母さんと三人で食事した時のことを思い出す。

うつ病なんて、病気なのかしら。今の子はイヤだと色んな理由つけるのよね。うちの子はしっかりしていてよかったわ。」

ベッドでどこも見ていない目をしたAちゃんを、見つめる。

三人きょうだいの一番上のAちゃん。

私もあなたをしっかりさせていたんだな。

ごめんねと言いたいけれど、それは私がラクになりたいだけだなと思って我慢する。

寝起きのままコンビニに行こうとすれば「櫛を通しなさい」とたしなめてくれたAちゃんの髪に、スナック菓子の欠片がついている。

仕事とAちゃんのこの先の人生なら、Aちゃんのこの先の人生のほうが大事に決まってる。それを他人がいうことは無責任かな。

でも、私は私のために、彼女に元気でいてほしい。

この頃、生きていてくれればそれだけでいいと毎日思っていた。

 

*五月の終わり

 

そんな生活も長くは続かなかった。

私は虚弱体質なので、いつもの環境じゃない場所で寝ているうちに熱をだしてしまった。咳き込んでも毎日たずねてくる私を見たAちゃんは「会社を休んでクリニックにいくからまどちゃんも病院に行って。」と言った。

私は予約の電話をいれるまで行かないと、熱でパンパンに腫れた顔で食い下がる。それに根負けした彼女はおそるおそる、メンタルクリニックの予約をした。

それからすぐに「抑うつ状態で休職が必要」と診断されて彼女は休職する事になった。

休めないというAちゃんをお医者さんが優しく叱ってくれた。

「僕は命を助けるために医者になった。だからここに来てくれた以上しにたい、と思うことだけは一緒に直したい。」

その言葉に、Aちゃんは「この人も自分の仕事を頑張っているんだな」と感じたと言う。

「誰だって仕事してしんどいのに、私のこれは病気なの?甘えじゃないのかな。みんな頑張っているよね。」

病院の会計を待っている時、Aちゃんがバッグに診断書をしまいながら独り言のように話しかけてくる。初めて見る、夜をこわがるこどものような顔だった。

私はその返事をせず、お財布に幾ら入っているかをたずねた。

それから「このまま長野に行こうよ」といった。

長野にうつを直す秘湯があるとかではない。

急に森とかおおきな池が見たいな、と思った。

「えっ何いってんの?あーでも旅行にいくこと自体はどうせ休みだからいいよ。帰ってちゃんと日にち決めてホテルとか新幹線の予約とかしようよ。」

もっともなことを彼女は言う。

「今から行こうよ。」

「何いってんの、コンタクトの液とか・・・。」

常識的なことをいうAちゃんを説き伏せて、押し込むように電車にのせる。

いろんな支払いをばたばた終わらせる。私もお財布とスマホくらいしか持ってない。

何食べようかな、と思いながらシートに座って私はすぐ眠ってしまった。

目が覚めたらAちゃんもすっかり寝入っている。

着く頃には暗いだろう。泊まるとこあるかな。

明日なにしようかな。何も持ってきてないからコンビニを探さなくちゃ。

そんな事を考えているうちに、新幹線はすごい速度でAちゃんを東京と仕事から離していく。寝顔を見ながら思う。起きたら仕事には行きたくても行けない。

仕事じゃない自分も自分だって、思い出してくれるかな。

「ボートにのりたい。」

思わず口にだす。明日はそれしよう、と思う。漕いだことないけど漕げるかな。

私が声を出したせいなのかAちゃんがうっすら目を開けて話始める。

「こんな私を見たらおかあさんがっかりするかな。あんたはしっかりしてて手がかからないが口癖なのにさ。」

私はもうすっかりぬるくなったコーラを飲んでから「がっかりしないよ。」と答える。

 誰かにがっかりされないように生きなくてもいいって、説明するには何ていえばいいんだろう。

*長野

 

仕事での立場や結果は、努力と時間の集積によって成り立っている。

だから簡単にそれを捨ててとかやめてとか、言えないけれど。

でも、それを休みたくなっても好きってことは言える。

うつのこと、今もきちんと理解しているとは言えない。色んなケースがあると思う。

でも、自分の友人との経験で思ったことがある。

この世には偉い子がいる。とってもエライ、よい子だ。

自分をレベルアップさせたり、カスタマイズして先に進むことは当然で、いつも昨日より良くなることを自然に課している。

仕事や、人間関係。それらが上手にまわるための大きな丸が欠けたら、あたりまえにそれを補おうとする。

その人達は「できる人」と呼ばれて、だんだん 大きな丸の修復業務をその人達だからこそ出来る仕事だと考えてしまう人がでる。

手伝うとか、相手の時間や力を削っているという意識がなくなる。

それでも「できる人」は、当たり前に大きな丸を修復しようとする。

多くの場合、その時自分の事をあとまわしにする。

その生き方は尊いと思う。

けどたまに「自分でいることがいやになったり」「自分に与えられた役割をやめてはいけない」「自分を優先してはいけない」と思ってしまったら。

違う生き方を選んでもいいってことを覚えておいてほしいなと思った。

自分のしたいことを選ぶことはあたりまえのことなんだから。

ただ私が思うのはそれだけじゃない。

軽井沢の池でボートにのって、鴨に追われて遊んでいたらAちゃんは久しぶりにお腹を抱えて笑っていた。

それが嬉しくて、私はやっぱり私のために、この人に生きていてほしいんだなと思った。私は私のエゴで、好きな人に仕事のことでしんでほしくないんだ。

私は自分勝手だから、私が好きな気持ちをがまんできない。

「石の教会にいきたい」

「何いってんの!午後は軽井沢でアウトレットいくんだから!早く歩いて!」

私をひっぱる彼女の背中をみながら、声を掛ける。

「いつもしっかりしなくていいよ。」

生きていてくれたらそれでいいから、と伝えると彼女は振り返ってこういった。

 

「なんで?」

私は、当たり前すぎてなんて説明したらいいか分からなくて私が一番偉いゆえ、逆らわないようにと言っておいた。

素直みたいにいってくれる人はいるけど、私はとてもわがままで思ったことをすぐ口にしてしまうだけなのだ。だから、本心を隠してがまんしたり強くいるひとのほうが、ずっとずっと偉くて、たくさんのことを抱えているのだろうなとよく思う。

歩いていく途中に透明の水がきらきらした小川があって、きれいだねーとニコニコする。そしたらすぐ傍にそれはもう恐ろしい形の虫の群れを見つけて二人で言葉にならない声をあげて走り去る。

 

その後、すごいおしゃれに見えてすごいデザイナー見つけた…と悦に入っていたTシャツはどちらも一度も着ていない。長野はただただきれいだった。大好き。

それから結局二ヶ月の休職を経て、彼女は今、職場に復帰して半年がたつ。

疲れたらすぐに休むし、みんなに優しくしなくなった。

できないひとはきちんと叱るし、人の仕事を抱えてあげなくなった。

相変わらずできるし頼りにされているようだけど、かわすようになった。

自分の分以上の仕事は基本しないと言っていた。

人を集めて遊ぶこともなくなった。

彼女がメンタルを病んでダメになったと噂する人もいる。

性格が悪くなったと言う人もいる。

偏屈なやつだと陰で笑う人もいる。

あんなにたくさんだった彼女の交友関係は20分の1くらい縮小された。

離した人も離れていった人も数え切れない。

 

けどその代わり、彼女は毎日それはとても楽しそうに笑っている。

 

 

 

 

良く分からないネックレスを首からかけないことにした

〒みなさま

 今日は日ごろぼやーっと思っているけれどなかなか文章にできなかったことを書いてみようと思います。

ただの私の思ったことがずるずる書いてあるだけなのでまったくまとまりがないのですが、いつか自分が読み直すときのために書いておきます。

ぜーんぜんたのしくない話で、4000文字近いのでファミレスに一緒に行って興味ない話しはじめられたという感じでしかめ面で読んでください。

たまにはこういう日記らしい日記もいいですよね!(同調圧力

 

*良く分からないネックレスを首からかけないことにした

f:id:ma-corpus:20171109041247p:plain



 

*最初の違和感

私は大学に入学してすぐ、アルバイトを始めた。

普通のオフィスで、毎日机に座って終業まで社員さんのお手伝いや、行ってもよい範囲の処理をするようなよくある仕事だった。ネットのセキュリティ関係。

大きな会社で、私の部署だけでも夜勤も含めて50、60人くらいのバイトがいたと思う。時間に融通がきくので色んな人がいた。かけだしの芸人さんとか、バンドをしている人とか、留学のために頑張っている人や、事情がある人とか。

バイト情報誌の紹介ページで「アットホームな職場です!」って笑っている人たちが、実際にいる職場だった。

基本は20代で、当時の私は年下のほう、上は40代くらいまでの人がいた。

バイトにも中心グループみたいなものがあって、その人たち主催でよくご飯やフットサルに誘われた。社員の人も含めて職場の3分の2くらいの人が参加していて、仲のよさに少し驚いたけれどすぐ慣れていった。私の誕生日会もしてもらった。

入社して数ヶ月たった頃、新しいスキルを覚えるためにK林さんという、長くバイトをしている人に研修をしてもらうことになった。

K林さんは殆ど皆と雑談をしない人で、懇親会みたいなものにも参加しなかった。

フレームのないメガネをかけて、常に白いシャツと淡い色のデニムパンツを合わせていてとても痩せていた。どんな人なのかなと緊張したけれど、1つの机に二つ椅子を並べて仕事を教わってみると、とにかく分かりやすかった。指示は短くて的確、私が質問をしたことに対する答えも、明瞭だった。

(この人すごい!)私はその時感動した。なんて頭の良い人なんだろうと思った。

こんないい教科書になってくれたんだから、教えてもらったことを無駄にしないぞと誓った。

「研修どう?」社員さんが声をかけてくる。私は「K林さんに習ってできなかったら私がわるいってくらいめちゃくちゃ分かりやすいです!」と誇らしげに答えた。

それから研修が終わって、休憩室であうたびにK林さんに挨拶をするようになった。ある時私が彼に挨拶をするのを見た中心グループのAくんがこう言った。

「あのさーなんでK林なんかに構うの?」

私はその口調に違和感を覚えながらも答える。

「めっちゃすごい人だよ。この前研修してもらって、驚いた。めっちゃ頭良い。」

すると彼は、今まさに通りすぎようとするK林さんに聞こえるようにこう返してきた。

「あいつきもくねぇ?見た目もだけど30過ぎてバイトなんかで人生詰んでるでしょ。」

その時、気持ちが体を追い越してしまって声にだすのが一瞬遅れた。

「え、何て?」

すごいなと思う人をすごいと思うことに、社会や世界の基準に照らし合わせてから感情をセットしないといけないのか。昔下敷きに書いてあった世界の国旗を思い出す。

起きてしまったことが不本意すぎて体がビリビリした。

自分だっていつか30歳になるし、今同じ職場で働いてるし、K林さんのことを何も知らないのにAくんは彼のことを「あんな風になりたくねぇ」と吐き捨てた。

私はその時、なんだかとても胸がぐちゃぐちゃしたし、もう飲み会には行かなかった。

Aくんとか、誰かを悪く思ったわけじゃない。

みんな悪気がなくて、みんな自分のことを普通だと思っているんだと思う。

*普通はナシなこと

 


K林さんのことを思い出したのは、この前知り合いの女の子数人とご飯を食べてきた時の話がきっかけだった。私は前にバイトで一緒だった女の子にくっついて参加したので、他数名の子とは初対面だったけど、皆話しやすい子だった。

その場に馴染みやすいように話を振ってくれたり、過ごしやすくしてくれているのが分かった。食事が進むに連れてその場にいない「Yさん」が近々入籍する話になる。

「ところでYさんの彼氏って就職した?」

「しないとまずいけど、一回も就職したことない人が30代で正社員ってなれるの?」

「でも結婚するならなんとかしないとでしょー。」

「彼氏年下だっけ?Yさん子供も欲しいからあんま時間ないし大変だ。」

「絶対あの彼氏じゃないほうが良かったよね?」

「30過ぎて派遣の夫だったら一人でいいなー。」

私はそもそもYさんを知らないので、私を誘ってくれた子が振り返って(知らない話になっちゃってごめんね。Yさんは職場の先輩だよ。)と小声で簡単に説明してくれる。

会話だけ書くとぎょっとする人もいるかもしれない。

この部分だけ誰かに話せば「そのこ達性格悪いね」とか言う人もいるかもしれない。

でもみんな、私に優しかった。

帰り道、誘ってくれた子と二人その時の話題に戻る。

その子が「ああいうのって、あんまり褒められたもんじゃないけど、それ性格悪いって言ってる人も実際口に出さないだけで「ああなりたくない」とか「自分だったら無理」って思ったりするんじゃないのかなー。実は口にだすか、出さないかの違いだけだったりして。」と言って、どきりとした。

それからも色々な場所で色々な年代の人が話すのを聞く、「偏差値60以下の学校の人と会話できない」「あんな服装の人と歩くの無理。」「子育てばっかしてる子って、どんどん話が合わなくなる。失礼だけどちょっとセンスも考えも社会からズレてるよね?」「彼氏が優しくないから仕事ばっかり頑張ってる子ってキツくなっててかわいそう。愛されてないんだなって思う。」「子供いないなんてかわいそう。結婚する必要ないでしょ。」「あんな場所でプロポーズされるなんて絶対やだ。」「あんな大学の大学院出る必要ある?」書ききれないほどいろんな言葉が飛び交う。

全部の言葉の頭に「普通無理でしょ。」とか「常識的に考えてナシでしょ。」ってつけても違和感ないようなこと。

私は、人とはたまにしか会わないし、躊躇せずに電話できる友達も少ない。

だから私が聞いたことは世界の一部でしかないんだけど、でもどこかに確実にあるそんな台詞がなんでだかこころにぐさぐさ刺さった。

*見えないきらきらのネックレス

生きていればよく分からないきらきらしたネックレスを見せられて「ところでこれ、持ってる?持ってない?」と言われて立場が上に見られたり下に見られたるすることがある。

でもそのネックレスは実際のところ得体の知れないものだ。

誰かが価値があるよって言い始めて、それに賛同する人がついてあっという間に広がって、最初に「何で価値があることになったのか」は置き去りになって「とにかく持っていないと評価が下がるもの」になったりする。

価値の理由や根拠が何だったのか考えない。そういうことが私にも時々ある。

最初に価値があるとした人の意見に賛同しているのかわからないまま、「価値がある」って定義に自動遷移してる。

人に話しかけるとき緊張して心臓がばくばくするような自分のこと時々恥ずかしくなる。でも、それが何で恥ずかしいのかを考えないときっと、本質がわからないままだ。

私の価値観はどんな風に生まれてどこで決まって、今好きなものやイヤなことをどうしてそう思うのかなあ。時々ちゃんと「何で」なのか分かっておきたい。

たくさん人がいる世の中で、出来るだけ多くの人が助け合えるように、力がうまく循環できるように、何かに基準や決まりがあるのは尤もなことだ。

統一する価値観をもつことは難しくても、皆がなんとなくお互いに侵害しあわず文化的に暮らせるルールを定めてる。それが社会なんだと思う。

でもそのルールを守ることと、「何を良いと思うか」「何を幸せだと思うか」は全然別な話だと思う。交通ルールは守るけど、好きな色は自分で決められることが当たり前なように、誰かを侵害しないことと何が好きかを選ぶことは同居できるんじゃないかな。

生き方に関しての模範解答が似ていることもあるけど、それも似ているだけで本当は同じじゃないと思う。誰かとまったくおんなじ人なんてきっといないから。

たくさんの人に認められていると安心する人がいて、誰かの目を気にしてそれらに蔑まれないことやできれば褒められることが幸せだって感じる人もいる。

「いっぱいの人が作った理想の誰かに似ていることが、幸せだ」

それが本心ならそれでもいいと思う。全然おかしいことじゃない。

大事なのはそれが本当にしたいことで、叶えたいことなの?ってこと。

大人になっても子供の頃の寂しさを残してて、親や目上の人に褒められたい人は褒められるように計画たてればいいと思う、別にそれは全然むなしいことじゃなくてれっきとした自分の望みと向き合う健全な行為だと思う。

楽しかったり嬉しかったり、幸せになるために人は生きてるんじゃないかな。

だからそうなるためにする努力が、誰にも迷惑かけてないなら誰にも笑われなくていい。

誰かにちょっといい暮らしをしてると思われたいとか、才能があると思われたいとかも、思われたいならそうしていいんじゃないかな。

それは恥ずかしいことじゃないし、自分で自分をばかにしなくていいことだと思う。

でも、本当にしたいのかどうなのかが重要なんだ。

ここまでたくさん考えたけど、A君があの時なんでああいったのか、「派遣の彼氏がいることが失敗」なのか、その発言にもっと複雑な何かがあったのか、まだ未熟で私にはわからない。こんなに長く書いたのに、わからなかったよ。

だから批判することも、肯定することもできない。

私が決められるのは「私はその価値観を選ぶかどうか。」ということだけだ。

いつか幸運にもおばあちゃんになれた時、誰かが選んだものじゃなくて自分で選んだお気に入りをたくさん身に付けていたい。

手に入れたいものとか触りたいもののことを皆に「そんなもの?」って言われても大切にするんだ。

よく分からないきらぴかのネックレスを「まだ持ってないの?」と言われても、「そうなんだよ~」とか「持つか迷ってるんだ」とか「私は欲しくないんだ」って全然気にしないような自分でいたい。欲しいのに持ってない時だけ、欲しがったり、手に入れられるように頑張ったりすればいいし、どこにでもあるネックレスでも本当に欲しい物を首から下げた時にきっと私は生きててよかったと思うはずなのだから。

 

他人の目から解き放たれていることは、すこしだけ大切なことだなって思う。

今好きな人たちが世界中の人から価値がないよっていわれても、好きなことはかわらない。

皆が憧れる誰にも似ていなくても、私はすきだよ。

そんなことを思った。

 

 

よくわからないことをぐちゃぐちゃすいませんでした。

そしてたぶん、また同じようなことを悩むと思います。

変わってないようでちょっとずつ前進していつかこれの答えはこうだって言えたらいいなあ。

 

 

【切り方募集】私はかぼちゃを包丁で切ることができない

 

〒 

 

 

 

 

 

#私はかぼちゃを包丁で切れない


丸い、そのままのかぼちゃを包丁でカットしようと試みたのですがとても出来ません。

包丁の刃の方が外れたらどうしようとすら思わせる南瓜の強さ・・・!

普段かぼちゃを購入する時は、あらかじめ半分にカットされていたものを選んでいます。それをレンジで温めてすこし柔らかくしてから好きな大きさに切っています。

しかし今回は見渡す限り、硬いみどりの皮に被われていて、包丁は簡単に通ってくれそうにありません。(ちなみに私が非力、というより恐らく器用・不器用の問題だと思います。

未カット状態の場合でもレンジにそのままいれていいのだろうか、私はすこし迷ったあと人類の叡智の結晶、検索をすることにしました。

# 誰でも出来る!簡単なかぼちゃの切り方

調べるにつれて私は、先人がコツを残してくださっていることを知りました。

たくさんのサイトで「こうすれば簡単!かぼちゃの切り方のコツ」として紹介されている方法があったのです。要約すると


1.菜ばしをかぼちゃのヘタの部分に刺す(貫通させる必要はない)
2.菜ばしを抜いて、その部分に包丁の先を入れる

3.包丁をそのままかぼちゃの中心に向かって刺す

力をいれて程なくしてザクッとした手ごたえとともに包丁がはいり、そこから一気に底まで切る
その後、反対側も同じように切る

4.両方底まで包丁をいれたら、最後は手で二つに割れる。

という内容でした。

私は改めて、インターネットのすごさに感動しました。

何度か手順を確認しましたが

「工程その3で包丁が一気に底まで入るようになるって書いてあるけど、できるかな~」

と心配になってきます。

しかし迷っていても仕方ないので最初のステップである菜ばしを用意します。菜ばしを握ると顔が笑ってきました

(すごいなーうまくできたら後で誰かにドヤ顔で教えよう!)

そんな邪な思いもつかの間

 

「エッ・・・箸なんか通らん・・・」

私は思わずそう声に出していました・・・・。

何度ガッ!ガッ!と箸を刺そうとしても強靭なる南瓜の前には無力でした。

最初にも書きましたが力のあるなしではなく、おそらく器用不器用の問題なんだと思います。しかし工程その3について悩ましく思っていた私は

結構長いこと「工程その1」すら出来ないことを受け入れられず

私しかいないキッチンに菜ばしを突くガッ!ガッ!という音が何度も響きました・・・。

#もう一つの方法

誰かが来た時に切ってもらえばいいのかもしれませんが、自分でできるようになってみたいという気持ちがあります。ほかの方法を調べてみることにしました。

しかしなかなか出来そうな方法を見つけられず、知人(アイちゃんという私のオネエさんのような人)に連絡をとり、「かぼちゃ、切る時どうしてる?」と質問しました。

彼女は普通に包丁をいれて、「てこの要領で切っている」と答えました。

TEKO…。

私にそんな高度な技術を使いこなす力はないため他の方法もないかたずねました。

すると彼女は「てこが出来ないなら、もうさ、ビニール袋にいれてさ、すいか割りみたいな感じで、公園で割ってみたら?それがいいわ。」と言いました。

 

なるほど??

 できそうだなと思った上 すぐそこに公園があるという条件も揃ってしまい本当に実行しそうになりました。

しかしそんなことをしていたら近所の治安維持の為に通報される可能性が高そうです。

 

本当に困ったときだけ単発でいこうかな、と選択肢にだけとっておきます。

#かぼちゃと乙女

とりあえず、つるつるの無傷でかぼちゃはまだ家にいます。

ハロウィンまでまだまだ日にちがあるので、何とかこれを機会に自分で切れるように練習してみようと思うのですが今回のことで更に疑問が生まれてしまいました。

世のひとびとはどうやってこの屈強な南瓜とわたりあっているのだろうと・・・。

かわいい女の子がかぼちゃを切る時がきたら、私はどう手伝えば・・・?

うーん硬いですねかぼちゃ

守備力がめっちゃ高い亀系の敵に当たった気持ちでいっぱいです(ゲーム脳

 

 

 

【調査】漫画やイラストのZzz・・・←何て読んでいますか?【オノマトペ】

〒 みなさま

 

こんにちは

突然ですが皆様、よく漫画やイラストで、眠っている姿の人と共に描かれる「Zzz」の文字、何て読んでいますか?

 

 

 漫画やイラストのZzz・・・←何て読んでいますか?

 

 

*そもそもZzzって何?

Zzzについて調べると「これはいびきを表すオノマトペである。」ということが分かります。じゃあそのオノマトペって何だろう?ということで更に説明を付け加えますね。

オノマトペ擬音語・擬声語・擬態語のこと。漫画では描き文字で表される。

つまりさまざまな者の声や音であったり、たたずまい、動き、気持ちなどを端的に表現する手段として用いられる。犬が吼える時のわんわん、恥じらいを表すもじもじなど日本人は特に多くのオノマトペを有している。

すこし脱線するのですが、日本人はかなり古くからオノマトペを使って表現を豊かにしていたようで、古事記(712年)や万葉集(759年頃)にもオノマトペが見られます。

こをろこをろという音で、国が生み出されようとする音を表現したり(現代でいうところのカラカラという音になります)万葉集では、ほどろほどろという表現で雪がはらはら舞い降りる様を表しています。美しかったのでその歌を載せておきますね

淡雪の ほどろほどろに 降り敷けば 平城の京し 思ほゆるかも

(読み:あわゆきの ほどろほどろに ふりしけば ならのみやこし おもほゆるかも)

平城になら、というルビをふる強さ・・・!あわ雪がはらはらと散り落ちて、あたり一面に薄く積もっている、平城京のことを思い出すなあ・・・といった意味の歌です。

大伴旅人大宰府にいる時に都を偲んだ望郷の歌ですが、ほどろほどろ、という音が入るだけで雪の様子の情景がよく浮かびますね。

と脱線が過ぎました。オノマトペがどんなものかご理解いただけましたよね。

イラストに蛇口が描かれていて、そこに「じゃーっ」と記載されていた場合、その

じゃーっが、水を流すときのオノマトペなのは何となく、共感できると思います。

それではZzzはなぜ、寝息のオノマトペとされているのか?という事に次項で触れていきます( ´ヮ` )

 

*Zzzの起源は?

zzzzの羅列は少なくとも1918年ごろにいびき音の表記として成立していたようです。

zがアルファベットであることからもお気づきのように、英語圏からやってきた表現になります。英和辞典にも最後のページにzzz・z-z-z・ZZZの記載があり「グーグー(いびきの音)ブンブン(羽虫やのこぎりの音)」(出典元・ジーニアス英和辞典)

のこぎりの音?!と一瞬、知らなかったことが出てきたのですが脱線しがちなので睡眠表現の話に戻りますね・・・

アメリカではzを大文字にして「Z」とひとつ表記することで眠りに落ちていることを示す漫画表現が使われるようになり、慣習となっていったようです。そしてアメリカ漫画が他国で普及すると共にこのZといえば眠りに繋がっているという感覚も共有されていったのではないかと考えられています。

分かりやすい例としてはアメリカの漫画家チャールズ・M・シュルツのPeanuts、日本ではスヌーピーとしておなじみのあの作品はおおきな「Z」を描いてよく睡眠の表現としています。

今では広く知られる事となったZzz表現ですが、歴史があるんですね・・・

ちなみに辞書にあった「ZZZ」の発音はズィーズィーズィーでした。

*というわけで何て読んでいますか?

私の中では7~8割くらいの日本人が「ヌヌヌ」だろうと思っていたのですが

というか「ヌヌヌ以外何が逆に?」という謎の慢心を抱えていました・・・

 

しかし、身近な人にきいたところ・・・

 

「あんまり意識しないけどズィーズィーズィー(Zの良い発音で再生してください)じゃない?」

なんかネイティブっぽい回答や

 

「グーグーグー・・・とかやない?あとはぐうぐうとか。」

まさかの常識回答

 

「寝てることを一目で理解するためのものだし、読み方なくない?」

これがもっとも、魂を揺さぶった回答ですが私の心の中のヌヌヌはまだかろうじて息をしていますよ・・・。

 

私が質問できる全総力は片手で足りてしまう人数なのですが、それでもこのように反応が割れてしまい、今脳内絶対王者であった「ヌヌヌ」が揺らいでいます。

しかし子供の頃から脳内でぬぬぬと読んでいた私、そう簡単にぬぬぬを振り払うことなどできるわけもありません。

「だっていびきだよ?グーグーじゃないの?」と先ほど言われましたが

「ヌーヌーヌーって寝てるんだよ!!」と落ち着いて聞くと狂っているとしか思えない返し方をしてしまったしだいです。

さてみなさん

「Zzz」←これ、何て読んでいますか?

 

 

 

参考文献 日々の会話が華やぐ大和言葉/大島 資生 (監修), 山下 景子